>君に捧ぐ華
                 ――ピッ ピッ ピッ ピーーー
                 その日、世界は終わりを告げた。
                
                
                「君のその頭脳――いや、執着、というべきか。なかなかのもんだし」
                 口の端を上げながら、それでも冷めた瞳がこちらを見る。髪も、目も、服装も青いその人は、この雑多な部屋ではかなり浮いていた。そこまで明るい色でもないはずなのに、何故かとても目に痛い。
                「俺に『彼』の瞳と同じ色の義眼を作るように言った時も、サトさんに頼んでそれを自らの目と交換した時も、なかなかなものだと思ってたけど……」
                 コツ、コツ、とゆっくり彼が近付いてくる。その青を見ているのが辛くて、目をそらした。その先にいたのは、『彼』そっくりの
                    
                「『彼』は、生き返らないし」
                 睨むように見ても、その人は表情を変えない。それもそうだろう。長年――少なくとも私の数倍は生きているその人にとって、私のような小娘が睨んだところで痛くも痒くもないのだろう。
                「『彼』は、ここにいます」
                「それは『彼』を真似ただけの紛い物だし。『彼』は病気で死んだ。だから、生き返ることもないし」
                「そんなことありません!」
                 少しばかり大きな声が出てしまった。いけない、大声出すなんてらしくない。落ち着かないと……。
                「申し訳ないですが、私は続きをやらないといけないので。暁さんは出て行ってもらえますか?」
                「ああ、俺も邪魔をするつもりはないし」
                 そう言うとくるりとこちらに背を向けた。
                「君はきっと、『殺す』ことになるだろうな」
                 その色素の薄い、冷めた青が何を見ていたのかは、私には分からなかった。
                
                
                 ――
                    
                 彼女が『彼』を喪ってから、『彼』を取り戻すために心血を注いだ『技術』。元々物を作ることを得意としていた彼女が、縋った『奇跡』。
                 物を作った時に込められるエネルギーを生み出す能力『有』。それを身につけることがまず大変だった。『
                    
                 それから彼女は『彼』を出来るだけ真似た身体を作ることにした。あの柔らかな唐茶色の髪を、あの優しい白緑の瞳を、あの温もりを。出来るだけ忠実に再現しようと躍起になった。そうして彼女が納得のいく身体を作り上げるのに、二年の歳月を必要とした。
                
                 『彼』を喪ってから七年。あと少しで『彼』は『生き返る』のだ。身体は用意できた。エネルギーも準備できている。あとは、『こころ』だけ。
                
                「『人造人間の人格形成をどう行うか』? 悪いけど、僕の分野ではないかな。私が行うのはあくまでも治療――それも能力を使って『無かったことにする』って方法です。つまり真逆も良いとこってわけさ。だから俺には答えようがないかなあ」
                 ころころと喋り方を変えながらも答えてくれた少女は、無表情のまま首を傾げた。まだ十五歳という若さながらに、自警団でたった一人の医療班をしている
                    
                「地球では機械を使うと聞いたことがあるけど、そんな機械はこちらにはないしねえ」
                 彼女の言うとおりだ。この世界は地球に比べると、科学と呼ばれるモノは発展していない。地球のことに関しては、あくまでも聞いた話では、だが。
                 やはり人造人間を生み出している人に尋ねるのが一番だろうか、と考えていると、柊が「あ」と声を上げた。
                「確か君の能力は『有』だったよね? それならエネルギーを人造人間に移す時に、一緒に『情報』も込めることが出来るのではないでしょうか」
                「そんなことが……?」
                「俺にも分からないけどさ。試してみる価値はあると思うぜ。ダメだったら、僕がエネルギーを消してあげますから」
                
                
                 結論から言ってしまえば、あっけないほどに上手くいった。悩んでいた時間はなんだったのだと言いたくなるほどに。
                 まさか本当にエネルギーと一緒に情報を入れ込むことが出来るとは思わなかった。情報を入れ込むなんて言い方をしているが、結局は念じただけだ。『彼』がどのような人か思い出しながら、生き返ってと願っただけだ。
                 それでも、上手くいった。
                 目を覚ました彼は、ふんわりと『彼』のように笑って。
                「おはよう、夏」
                 そう、言ったのだ。
                
                
                 それからの日々は幸せだった。
                 喪い、ただ取り戻すためだけに必死だった色褪せた時間を掻き消すかのように。梅雨が終わり、ようやく晴れ間が見えるようになった季節のように。ありきたりだが、それでも確かに世界が輝いて見えた。
                 ――幸せ、だった。
                 そのことに、気付くまでは。
                「君はきっと、『殺す』ことになるだろうな」
                 その言葉の意味を、理解するまでは。
                
                
                 違う。違う違う違う。
                 いや、違わない。これが『正しい』。
                 何も間違ってない。疑う余地なんてない。これが正しくないはずがない。
                 ――本当に?
                「夏?」
                 ハッと顔を上げた先には、心配そうな表情を浮かべた彼の姿。人造人間であるが故に、身体は成長しない彼は、『あの時』のままだ。
                「大丈夫……?」
                「? 何が?」
                「なんか……苦しそうな、顔していたから」
                 それは。
                「そんなことないですよ。大丈夫」
                 それは、貴方の方じゃないか。
                
                 ――『ズレ』を感じるようになったのは、いつからだっただろうか。
                 会話の受け答え。ふとした時の表情。言葉遣い。なんてことない仕草。こちらを見る瞳。ほんの少しだけど、確かに『違う』それら。
                 いや、『違う』と感じるのは気のせいだ。だって、『彼』は確かに『生き返った』のだから。彼は『彼』なのだ。だから『彼』と違うところなんて、あるわけがないんだ。……あるわけが、ないんだ。
                「なん、で……」
                 彼が『生き返って』から、もうすぐ一年が経つ。
                 彼と共に居るのがこんなにも苦しくなるだなんて、あの時は思いもしなかったのに。
                 少しずつ、彼が『彼』でなくなっていく。
                「夏」
                 どうすれば良いのかなんて。
                「ごめんね。僕のせいで、たくさん、君を傷付けている」
                 もう、何も分からなくて。
                「だから、お願いがあるんだ」
                 ただ、ただ。
                「僕を、殺して」
                 隣にいて欲しかっただけなのに。
                「お願いだよ、夏」
                 そんな顔して、笑わないでよ。
                
                
                「大丈夫だよ、夏」
                 最近よく見せていた苦しい表情じゃない。ただただ穏やかに微笑みを浮かべながら、彼は立っていた。
                「僕は作られたモノだ。人を――『
                    
                 ふわりと右手を包まれる。震えが止まらない右手を、優しく、それでいて強く持ち上げた。
                 右手に収まっているそれが、鈍く光る。
                「夏」
                 その声は、表情は、私が逃げることを許さない。
                 いや、当たり前のことだ。全ては私が原因なのだから。
                 原因でありながら、全てを彼に押しつけようとしているのは、紛れもなく私だ。
                 こんな罪深い人間を、彼は簡単に赦すのだ。それでも二度と繰り返さないようにと笑うのだ。本当に優しいヒトだから、身勝手に傷付き苦しむ私のためを思って行動している。それを理解できてしまうことが苦しいだなんて、本当にどこまでも、自分勝手だ。
                「……ねえ」
                 彼は手を離す。少しだけ離れて、それでも手が届く距離で立ち止まる。
                 向かい合った彼は、『彼』の最期から変わらない。
                 八年。
                 取り戻すことだけを考えて過ごした日々を忘れるほどに、幸せと苦しみを抱いた一年を、彼と共に過ごした。
                 『彼』を喪って出来た穴を、不器用に埋めようとして、それでもきっと不完全だった。
                 彼を『彼』に見立てることが、どちらに対しても酷いことをしているのだと、気付きもしなかった。
                 だから、これは罰なのだ。
                
                 私は、私の意思で、彼を殺すのだ。
                
                 彼の後ろに広がる空には、雲一つ無い。どこまでも澄み切った青が続いている。そういえば『彼』が亡くなった時も、綺麗な青空だったな、なんて。皮肉、だろうか。
                 こういう時は雨が降るものじゃないだろうか。泣くことすら、赦されないと言うことだろうか。当たり前か。彼を殺すことで、私は泣いてはいけないのだ。全ては、私の罪なのだから。
                 それなら、私は笑って終わらせるしかない。
                 それが、きっと彼に出来る唯一のことだから。
                「大好きよ」
                 『彼』ではなく、彼と過ごした日々も大切だなんて、口には出せないけれど。思うだけは許して欲しい。
                
                
                 コツ、コツ、コツ。
                「流石に、暑いかなあ……」
                 思わず言葉が落ちた。
                 いつかのように晴れ渡った空の下、申し訳程度に舗装された山道を歩いていた。真っ黒な服は日差しを容赦なく吸収する。ところどころにある木陰が癒やしだ。
                 しばらくまた無言で歩みを進め、そうして開けた場所に出た。いくつもの灰色が並ぶそこを、目的の場所を探して歩く。
                 辿り着いた場所には、小さな石が置かれていた。
                「そういえば、貴方が死んでからここに来たのは……葬式の後だけだから、これで二回目だね」
                 薄情だと言われても仕方ない。だってもう八年半経つのだ。それなのに、こうして墓参りに来るのが二度目とは。我ながら呆れてしまう。
                 それでもこうして辿り着けて良かった。最初に来た時は呆然としていたはずなのに、そして全く来ていなかったのに、ここに来ることが出来て本当に良かった。
                「言い訳させてもらえるなら、きっと、認めたくなかったんだと思う。貴方が死んだことも、もう会えないってことも、独りになってしまったってことも」
                 両親を亡くし、泣いていた私に差し伸べられた手。いつも私を引っ張ってくれていた。初恋は実らないなんて嘘だと教えてくれた。隣を歩くことを許してくれた。その手は、もうないのだと。認められるわけが、なかった。
                「だから、貴方にも彼にも酷いことをした。今更謝ったところで、私がしたことは変わらないんだけど……それでも、ごめんなさい」
                 過去に縋ることしか出来なかった。現実を受け入れることが出来なかった。それが、大切な人を傷付けることになるなんて、思いもしなかった。
                「あのね、今日は報告があるの。大切な、こと」
                 どこまでも酷いことをして、彼を傷付け続けた。
                 それでも、彼は私のために動いた。
                「私ね、ちゃんと生きてく。前を向けるかはまだ分からないし、また間違うかもしれない。それでも、貴方とちゃんと向き合って笑えるように」
                 だから、それに報いるためにも。私は、生きていかないといけない。
                「それと、もう一つ」
                 そこで初めて振り返って、手招きする。首を傾げながらもその人は、こちらに近付いてきてくれる。それを見て、また『彼』へと向き直る。
                「今度は私が、手を引いてく番だと思って」
                 どこまでも、自分勝手で自己満足だけど。
                「自分で思っている以上に自分勝手だってことは分かったから。だから自分勝手なりに、責任を取ろうと思うの」
                 私の隣に立つその人に屈んでと言えば、素直に屈んでくれる。その頭を、柔らかな唐茶色の髪を撫でる。
                「この子の名前は『リュウ』」
                 結局私は、彼のことを名前で呼べなかったと、今更ながらに悔やむ。だから、と言うつもりはない。代わりにするつもりも、もうない。
                 生まれ変わらせた彼と、最低限の知識しか持たない彼と、私は共に生きていくことを、決めたのだ。
                「この子を生み出したのは私だから、責任はきちんと取るつもり」
                 これは誓いだ。決して、破ることはしない。
                「貴方の代わりにするつもりもない。なんて言うのかな……子供、みたいな感じかな……。この子が立派に生きていけるように、私は頑張って生きてく」
                 手を合わせて、目を閉じた。今でも思い出せる笑顔はどこか遠い。忘れたくないと思っても、きっと少しずつ風化していくのだろう。それは恐ろしいことだけれど、泣いてばかりはいられない。
                 そうして進んでいくのだと、決めたのだから。
                「だから、もし貴方が許してくれるなら」
                 もう、迷うことがないように。
                「私とこの子を、見守ってください」
                
                「夏、暗くなってきた」
                「そうだね、そろそろ帰らないと」
                 リュウに促されて立ち上がる。青かった空は夕焼け色に染まっている。随分と長居をしてしまった。だって、仕方ないじゃないか。八年半も来ていなかったのだ。話したいことは際限なく出てくる。まあ、私がいけないのだけれど。
                「あ、そうだ。お供えに良いのか分からないけど、渡したかったから」
                 ずっと脇に置いていた瓶ごと、石の前に置いた。深紅の花は、どこか夕焼けに溶け込みそうだ。
                「相思華、って名前なんだって」
                 花言葉も教えてもらったんだ。
                 そうっと呟く。きっと貴方は「どんな花言葉なの?」と微笑みながら待ってくれているだろう。
                「『独立』『転生』『想うはあなた一人』、そして――」
                 どうか、許して欲しい。
                「『また会う日を楽しみに』」
                 また会える日を、夢見ることを。
                
                「それじゃあ、今度こそ帰るね。これからは、もっと頻繁に来るようにするよ」
                 そう声をかけて、リュウの手を握って歩き出す。
                 一度だけ、振り返る。小さな石に、手向けられた一輪の赤い花。
                 大丈夫、彼はここに居る。私は、独りではない。だから。
                「さようなら、
                    
                 全てを背負って、生きていける。
            
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