夏の雨
                 ――ザアアアアアアアア……
                
                 ありきたりな表現を使うならば、バケツをひっくり返したような雨だった。
                 唐突に降り始めた雨から逃げるように走った二人の旅人は、今は見上げても足りないほどの大きな木の下で雨宿りをしていた。その木は、日光を一片たりとも逃すまいとでも言うように葉が生い茂っていて、雨が通る隙間がほとんどない。時折ぽたりと落ちてくる雨粒はご愛敬といったところだろう。
                 ここまで見事な雨宿りできる場所が見つかるとは思っていなかった二人は、とりあえず荷物の中から布を取り出し敷いて、そして座った。雨が通り過ぎるまでここに留まることに決めたらしい。
                
                
                
                 ――これは、雨が通り過ぎるまでの、ほんの短い間のお話。
                
                
                
                「さいっっっあく!!」
                 思わずこぼれた悪態に、彼は笑いを返した。それに睨めば、こわーい、と軽い声。
                「怒りすぎだよ
                    
                「うっさい。あー濡れたし……あんたが体変形させて傘代わりになれば良かったのに」
                「僕はそしたらびしょ濡れじゃない」
                 けらけらと何がおかしいのか笑う相棒に溜息が漏れた。
                
                 私は舞弥、人間。
                 この凄まじいまでに田舎なのか何なのかよく分からない世界とは別の世界の出身だ。なんで建物も木も全然ないのか。不思議なことに、このあたりでは今雨宿りしているこの大きな木一本しかない。意味が分からない。
                「それにしても木があって良かった。流石にびしょ濡れは嫌だからね」
                 木を見上げながら言ったのが相棒の
                    
                 私と同じ世界の出身。ちょっとした事情で今は共に旅をする相棒となっている。ちょっとぶっ飛んだ思考回路をしているのが玉に瑕だ。
                「それにしてもこうやって雨に打たれるなんて久々だなあ」
                 へらりと笑うその顔に、こちらは顔をしかめた。
                 なんでそんな顔するの。
                 するに決まってんだろ馬鹿野郎。
                 分かってしまった。どういう意味が込められているのか。それなのに、へらへらと笑えるはずもなかった。
                
                
                 ――私たちは、実験材料だった。
                
                
                 私たちは、といっても私は材料として連れてこられたばかりだった。空鵝はもっと前からいたらしい。恐らく何かしらの実験に関わっていたのだろう。
                 あの牢屋に、実験施設に長くいたことを匂わせる言葉に、どうして笑えるだろうか。
                
                
                
                 ――カツン、カツン。
                
                 ああ、やっと行ったようだ。困ったなぁ。普通に過ごしていたと思ったのに、まさかこんな冷たい牢屋に入れられることになるとは。誰が予想していただろう、こんな未来。
                 はあ。
                 思わず溜息が漏れた。
                 この後どうなるかなんて分かってる。人体実験。その言葉が頭をよぎる。そう、人体実験の材料にされるのだ。人為的に「人外」を作り出すための。
                「ねえ、君名前は?」
                「舞弥。――……え?」
                 思わず答えてしまった。
                 今まで床を睨んでいた目線を上へ。柵の向こうにある、柵のさらに向こう。へらりと笑う少年の姿。
                
                「舞弥か。僕は空鵝。人外だけどよろしくね」
                
                へらりへらりと笑う少年は人間そのものの姿だ。人外だと言われても理解できないほどに。
                
                「え、は……? あんた、人外なの……?」
                「そうだよー。あんまりらしくないかもしれないけど」
                 ほらっ。そう言って彼は片腕を黒い鎌へと変形させてみせた。
                
                
                 ――そうして私は、こいつがとんでもないやつだと知るのだ。
                
                「こんなことだって出来るよ?」
                
                 ズパッ。
                
                「……ちょ、あんた何して……!?」
                「え? 僕が人外だっていう証明かな」
                 そう言って空鵝がやらかしたのは、柵を破壊するという行為だった。確かに人外でしかないであろう力だ。だけど、だけどだ。何でそんな方法で証明したのか。これじゃあすぐにでも監視役が飛んできて、最悪二人して死ぬことになるだろうに。
                「あん、た……馬鹿でしょ!?」
                「えーなんで? ここから逃げれば良いだけの話でしょ?」
                「逃げるって……どこに!?」
                「さあ?」
                「さあ? ってあんた……!!」
                
                 まるで漫才のような会話を繰り広げていると、ドタバタという足音が近づいてくるのが分かった。
                
                「ちょ、逃げるなら早くしないと……!」
                「あいつらこてんぱんにした方が楽じゃない?」
                「対策してるに決まってんでしょーが! あんた正真正銘の馬鹿だな!?」
                「馬鹿だなんてひどいなあ」
                「とにかくどうやって逃げるの!?」
                 思わず牢屋から抜け出し、空鵝の襟元を掴んだ。相変わらず空鵝はへらりと笑っている。
                「人外に魔力が流れてるのは知ってる?」
                「そりゃあ有名な話だからね。だからこんなことが行われているんだろう?」
                「そうだね。その魔力を使えば、一応だけど瞬間移動することが出来るんだ。僕は実験のせいか、少々暴走しやすいから危険だけど」
                 なんだか大きな爆弾でも落とされた気分だ。あれか、イチかバチかの大勝負ってか。
                 でもそんな勝負に出るしかなさそうだ。というかそれ以外に道がない。
                「……あんたの魔力、『こっち』で制御できるか試してもいい?」
                「こっち?」
                「錬金術」
                
                 そう言って左手に刻まれた刻印を見せる。
                 錬金術。魔力を持たない人間。その中でも刻印を持つ一部だけが使える、不思議な力。分解・再構築が得意だが、何かを制御することにも役立てられている。
                 その刻印が刻まれる位置や大きさ、模様などは同じモノはないとされている。
                
                「いいよ、任せる。」
                
                 にっこりと笑ってみせた空鵝は、さっきまでと違い、目まで笑っていた。
                
                
                
                 そう、この世界に来てからまだ一度も人に会っていなかったのだ。それどころか建物も見ていない。ただこの世界に来てから見たモノは、だだっ広い草原と今雨宿りしている大きすぎる木のみ。不可思議な世界だ。
                「この分じゃ、ここも候補にはならないわね」
                「確かに。この世界じゃ下手したら自給自足の生活だからねー」
                「自給自足……出来る気がしない……」
                 想像しただけで嫌になる。げんなりとしながら言えば、相変わらずけらけらと笑いが返ってくる。じとり、と睨んでも首をかしげるだけで、思わず溜息が漏れた。
                「あんたは永住するならどんな世界が良いわけ?」
                「んー? 難しい質問だね。とりあえず人外であることを受け入れてくれる世界かなあ」
                「あんたにしては珍しく尤もな意見ね」
                「ひどいなー」
                「酷いなんて思ってないくせに、よく言うわ」
                「あはははは」
                 見事なまでに棒読みな笑いだ。どうしても空鵝を見る目が冷たくなるのは仕方ない。仕方ないんだ。
                
                
                 ――私たちは永住地を求めて旅をすることになった。
                 条件は『二人が納得できる世界であること』。
                 魔法も錬金術も欠けては異世界へ渡ることができない以上、共に行動するしかないのだ。そうなったらもう、とにかく永住できる地を探すしかないだろうということになった。
                ちなみに元の世界に戻るという選択肢はない。戻ったところで実験材料となって死ぬのがオチだ。せっかく逃げられたのに、それでは元も子もない。
                
                 ――ザアアアアアアアア……
                 相変わらず雨は酷い。
                
                 ――私たちが望む世界なんて、あるんだろうか。
                
                 ぼんやりと雨のカーテンを眺めながら思う。
                 私たちの望む世界は簡単なようで、かなりハードルが高い。
                 空鵝は人外を受け入れてくれる世界。私は(出来るだけ)争いのない世界。
                 果たして、そんな世界はあるのだろうか。
                 不安が頭をよぎる。
                 それこそ非現実的だと言われたら、何も言い返すことが出来ない。ああ、私たちはこの後、いったいどうなるんだろうか。もしかしたら永遠に希望を叶えることが出来ずに……。
                
                「あ」
                「っなに!? 人が考え事してるって言うのに……!」
                「雨、止んだね」
                「え? そういえば……」
                 あれほど酷い雨だったのにも関わらず、もうすっかり空は晴れている。通り雨だったのだろうか。
                「もしかしたらこの世界は夏なのかもね」
                「ああ、なるほど……。確かにそうかも。こんなに葉が生い茂ってるわけだし」
                 上を見上げてみれば、見事に緑しか見えない。
                 ……あれ、なんでだろう。ちょっと前向きになれた気がする。
                 あれだけ激しかった雨が止んだからか、ちょっとだけ良い方向に考えが転がっていく。
                 もしかしたら今は土砂降りで最悪な状態かもしれない。でも夏の通り雨みたいなものかもしれないのだ。意外とすぐに望通りの世界にたどり着くかもしれない。
                 うん、元気出てきた。
                 相変わらずへらりと笑っている相棒はむかつくけれど、なんだかんだでやっていけそうな気がした。